事故で肢体不自由になった40歳代の中途障害者のエッセイの12回目の投稿です。
中学の卒業文集「将来についての抱負」の項のひとつ。「死ぬ時自分自身がどんな人間なのか出来うる限り把握していたい。」〜と綴った。
昔から人間観察が好きだった。 人に興味があるから新しい出会いは全く苦ではない。社会に出て経験した職種も全て人相手の仕事だった。 営業で仕事がとれなくてもお客さんとのコミュニケーションに一喜一憂していた、それで満足だった。 結婚して子供を2人もうけて、また新たに親戚づきあい・ご近所づきあい・子供の保護者づきあい等々も加わった。 だてに人間観察してコミュニケーション力を培ってきたわけじゃないから、どれもソツなくこなしてきたつもりだった。 ただ・・・一番大事に相対さなければいけない我が子への接し方は下手だった。 もう私の手を離れつつあるふたりだが・・反省する事しきりである。 子育てから始って年を重ねるごとに「本当の自分」が揺らぎ始めた。「自分」が周りの人が作り上げた「虚像」なんじゃないかと・・「前向きでパワフルな●●さん」のイメージに応えてるんじゃないかと・・・。人間観察が好きな私はもちろん自分自身の掘り起こし作業も得意であるが、受容作業が出来ずで結果、掘り起こしっぱなしの穴だらけである。 自分の一番の応援団だけど、ここ数年は自信のない私だった気がする。
そんな私が1年半前事故をして障害者となった。 今迄当たり前にできていた事・生活を全て失った。退院後在宅で介護を受けながらの生活が1年経った。人に頼られて当たり前、ヘンなところで凄くプライドが高い私が今、生活のほとんどを人に頼って生きている。
障害を負った自分を受容するのには時間がかかるのは充分承知、健常の自分の受容もままならなかったのだから・・・。 そんな私だがこの「人生の大転機」で確信した事がある。 「人間の心って柔軟・強い・もろい」〜ゆえに取扱いが難かしい。でも、もっと知りたいと・・・。
事故後すぐにカウンセリングの先生にお世話になって以来ずっと私の心はこわれる事なく、むしろ良好である。今はこの私だからこそ出来ることを探して、いずれは他の人の力になれたら〜と思っています。 その手段のひとつとして、そして卒業文集に綴った夢を少しでも叶えるべく・・是非、受講させていただきたく受験させていただきました。
どうぞよろしくお願い致します。