事故で肢体不自由になった40歳代の中途障害者のエッセイの14回目の投稿です。
「嗚呼!息子よ」
早いもので新しい年を迎え、43回目の誕生日を目前にしている。去年は沢山の願い事を書き連ねた・・・車イスに座ったアタシから何本もの手が宙を仰いでいた。今のアタシは
〜というと・・・何だろうな〜、落ち着いている。現状を冷静に認めて、肉体的にも精神的にもより良いコンディションを保つ方法がわかり始めたんだろうか・・・。以前は真っ青な空を見ては〜こんな身体じゃなければ山や川に出掛けられたのに・・・〜見事な夕焼けを見ては〜仕事帰りハンドル握りながら夕飯の献立考えてたのに・・・なんて・・どうしても元の二足歩行のアタシに戻りたかったんだろうな〜。アタシは当初から〈障害受容〉
という言葉が嫌いだった。その言葉には前向きなイメージを抱かなかったから・・イコール〈敗北・不変〉だったからだ。 でもどうやら知らずしらず、時間をかけてソレをしてきたようだ。 〈障害受容〉は次へのステップの為の単なる過程なんだと思うようになった。 健常だった自分さえ受容出来なかったアタシが大したもんである・・。以前から〈転んでもタダでは起きぬ〉〈打たれ強い〉〈図太い〉こんなキャッチコピーこそアタシへの最高の褒め言葉だ。
話しは変わるが、息子の小学校卒業を目前に涙腺が既に緩みっぱなしの昨今・・。日常生活ではま〜ったく憎ったらしくって怒鳴り倒してるんだけど、お得意の妄想モードがonしちゃうとひとり目頭が熱くなるのである。そんな中あのお決まりの文集に掲載する「卒業する息子にハナムケの言葉」の依頼が・・・。早速、頭の中をいろんな事・沢山の伝えたい言葉がよぎるが文字数は限られている。今、一番彼に伝えたい事ってなんだろ?・・・。
息子が4年生の1学期にアタシの怪我。今でも(せめて小学校卒業までは身のまわりの細々した世話をやきたかった〜)と思うし、彼ももうちょっとアタシに甘えたかったハズ・・
多少なりとも暗く悲しい爪痕を残していると負い目を感じる。彼の名誉の為に大きな声では言えないが、ひと目を気にするし、暗やみは苦手だし、怖いテレビを見た後は眠れないほど肝っ玉が小さい。でも、13年間かけて彼が知らず知らずに培ってきた彼自身の〈核〉はなかなかの硬度と純度だと親バカながら思う。もしかして、アタシも家族も大変だった時期を乗り切れたのは周りのフォローももちろんのこと、彼が築いた友達関係であったり彼自身の強さや柔軟さだったのかも〜と深―く推測してみたけど考えすぎか・・・。
もしかしたらアタシの怪我も彼の人生においてはひとつの事象に過ぎないのかもしれない。
結局、いろいろと思いを巡らせながらまとめた言葉は・・・
「生きていれば良い事もイヤな事もあるけど感情フル活動で人生を楽しむ。ズルして近回りの無駄はするなと・・・。そして強くてしなやかな身体と心の根っこを育てていくように・・」と、金八先生さながらに熱〜く綴りました。 あっ、既に涙腺が・・・。
娘の時には無かった感情です。 〜息子よ、卒業おめでとう!〜